virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

「マンハント」「瞳の奥に」

Netflixオリジナル2本。

マンハント

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手作り爆弾を仕掛けた郵便物を開けた人々が死亡または重症を負う連続殺人事件。FBIはマスコミや被害者からの批判にさらされながら、「ユナボマ―」と名付けた犯人を17年ものあいだ逮捕できずにいた。フィラデルフィアの警察官出身で、苦労の末にFBI捜査官となり、この事件の捜査に参加したフィッツは、上司や同僚からのプレッシャーと逆風にもめげず、まったく新しい方法で犯人逮捕の突破口を見つけるが、事件にのめりこむあまり私生活は崩壊していく。

ユナボマ―が逮捕されたのは1997年。報道でリアルタイムに見た記憶のある有名連続殺人犯の数少ないひとりだ。まったく進展がなかった捜査の大きな転機は、ユナボマー(テッド・カジンスキー)が爆弾と引き換えに、自分の手記(マニフェスト)を大手新聞に掲載するよう取引をもちかけたことだった。マニフェストを読み込み、独特なつづりや文法から人物像を特定しようと地道な作業が続く。プロファイリングがだいぶ確立されてきた頃だからできたことかもしれない。決定打は、新聞記事を読んだ読者からの通報だった。山のように寄せられた情報のなかに埋もれずにFBIの目に留まったのは、この読者のある境遇からくる慎重さだった。ここが事実は小説よりも奇なりと思わせるところ。

 

主役の捜査官フィッツは、家族と何か月も離れることに最初は躊躇していたが、周りからコケにされながら自分の信念を貫き、雲をつかみ取るような捜査にのめりこんでいく。その理由のひとつは、ユナボマーにある種の共感を感じたからだった。ユナボマーの真の目的は、「産業社会とその未来」と題されたマニフェストを世間に公開し、それを読んだ賛同者が有機的に革命を起こすことだった。人間はテクノロジーの進化とともに退化している。例えば、車を買ったら、もう車なしでは生きていけなくなる。人間は自由を奪われ、テクノロジーの奴隷になってゆくという思想だ。フィッツは、誰もいない道の赤信号で車を止めて待ちながら、ふとこのマニフェストに思いをはせる。内容を信奉しているわけではないが、ユナボマーについて調べ尽くしたフィッツは、こんなに知的で頭のキレる慎重な人間は、いったいどんな男なんだろう?と奇妙な執着を覚えるのだった。事件捜査に深く関与した人間特有の感情なのだろう。ウィキペディアによると、本作品のフィッツは、複数の捜査官を1人に集約したキャラクターだとか。

 

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このドラマの出色は、なんといってもテッド・カジンスキーを演じるポール・ベタニーだ。IQ168のテッドはおとなしく、逮捕されても堂々としている。EP6は全編テッドの半生と犯罪の動機に関わる背景を描いた力作。モンタナ州の田舎町での隠遁生活では「変り者だが無害な隣人」として描かれている。また、ハーバード大学在学中には非人道的すぎる実験に参加するなど、壮絶な人生を歩んできたことが垣間見える。人との交流が子どもの頃から苦手だったテッドは、全員に”裏切られ”、隠遁生活中に出会う子どもには、自分が得るはずだった理想の家族の存在を重ねるが、またも”裏切られる”。人間は自分の思い通りにならない、という当たり前を受け入れられないマッチョで自分勝手な思考に過ぎないが、エスカレートすると犯行動機の種子になる。

 

本作はうっかり同情してしまうくらい、ユナボマーという男の人間的な面を強調して描いている。ポール・ベタニーの抑えた素晴らしい演技の相乗効果もあって、ドラマとして秀逸なのだけど、「マンハント」を観たあと直行したドキュメンタリー「ユナボマ― 自らの言葉」をみると、まあこっちが現実だよねぇ、と残念なユナボマーが見える。感想少し書きました。「マンハント」を観ると、テッドは自然を愛していたから刑務所からは木が見えなくて気の毒、携帯を見ながら歩く人々を見たら、世も末だと思うだろうなーと想像し、「ユナボマ― 自らの言葉」を観ると、人への共感が著しく欠けているこんな男を外に出すなんてありえないな、思い直す。二つ視点から一人の人物を知ることができるので、両方観るのおすすめ。

 

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余談だけど、強烈に印象に残っているシーンがある(EP8冒頭)。テッドが手作りで建てた家が、「こんな小屋に籠ってたなんて精神異常に違いない」と主張するための証拠として、移送されるシーン。床下の4本の柱を切って、ヘリでぶーんと運ばれる家。テッドも家もなんだか可哀そう・・ってなってしまったのは、一番好きな絵本、「ちいさいおうち」を思い出したから。のどかな田舎で幸せに暮らしていたちいさいおうち。やがて周りに電車や地下鉄が走り、高層ビルに囲まれて、住む人もいなくなってしまう。ある日、おうちに住んでいた人の子孫が見つけて、おうちが田舎に引っ越すというストーリー。「マンハント」のタイトルバックにもこの家がでてくるのは、ここだけがテッドが安心できる場所だったというモチーフなのかもしれない。もう一度このシーンを見直すと、運ばれる家が、テッドが爆弾を仕掛けた箱と重なって見える。

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瞳の奥に

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主人公は事務員として勤務する心療内科クリニックの医者と不倫している。その妻とも交流を持つようになり…そこからは何も言えない。夢をみているシーンなど早送りしながらじりじりと展開を待っていたが、かなり引っ張らないといけない理由も最後まで観て分かった。サスペンスドラマだと思って観ていたら、最後の2話あたり(もっと前?)から×××が見えるようになって急カーブ。最後のオチを知った後で最初から観ると見え方が変わるかも。

ここから先は、観るきっかけになった、登場人物のスコットランド訛りの話です。ストーリーとは無関係なので畳みます。

 

 

観た理由は、友人から、昔住んでいたことがあるスコットランドグラスゴーの訛りが聞けるドラマがあると聞いたからだ。スコットランドが舞台の作品は数あれど、ばりばりのグラスゴー弁で話す人がでてくるものは少ない。スコットランドの中でも訛りはいろいろで、私が本当にストリートのグラ弁(団地育ちで常にジャージを着ている人たちが話すやつ)だなと思うのは、英語圏でも字幕付きで上映されたケン・ローチSweet Sixteenぐらいだ(これも正確にはグラスゴー近辺らしい)。同じグラスゴー育ちでも、アクセントの強さはその人の環境によるので、みんな実に様々な話し方をするなぁ、と東京から移り住んだ自分には新鮮だった。UKのほかの街から来た人たちもそれぞれの訛りのまま話すので、いろんな音が聞こえてくる。友人にはストリートグラ弁を話す人たちはいなかったので、バイト先の同僚の地元の人と、街で聞こえてくるぐらいだったが、今振り返ると、ローカルとの接点として、バイトしてたのは大きかったな、と思う。

「瞳の奥に」には、きれいめなスコットランド訛りと、ちょいきれいめなストリートグラ弁の人がでてきて(ドラマだしな)、やはり眼福ならぬ耳福だった。Perfectはペャァ~フェクト。Kersland Stに住んでいた頃、タクシーに乗ったらケャァ~スランと発音するようにしてたのを思い出す(聞き返されるため)。