virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

「サムシング・ワイルド」

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なぜ観返そうと思ったのかを長々と書いてしまったので、サムシング・ワイルドの感想は目次から飛んでください。

 

デヴィッド・バーントーキング・ヘッズジョナサン・デミ

珍しく封切2日後くらいと早めに劇場で「アメリカン・ユートピア」を鑑賞してから、すっかりトーキング・ヘッズデヴィッド・バーンにどハマりしている。観た人全員が絶賛しているといっても過言ではない本作については、様々な媒体でいろいろ読めるので置いておく。ポスター特典があったので、久々にCDをタワレコで買い、「アメリカン・ユートピア」公式サイトや、デヴィッド・バーンが作ったウェブマガジンでもグッズをオーダーした。好きなものにお金を使いたくなる中年あるある。音源はSpotifyに入って、片っ端からトーキング・ヘッズのアルバムを聴きまくる日々。あれ、全部好きやん・・なぜ今まで聴いてこなかったのか!実は、洋楽好きだけど、トーキング・ヘッズは通ってこなかった。ので、2021年になって、YouTubeであらゆるインタビュー映像を観まくり、記事を読み漁り、全力で後追いしている最中。

 

思い返せば、洋楽を聴くようになったのは90年くらいから。もしトーキング・ヘッズを発見していても、当時すでにライブもやってないし、ちょうど正式に解散する頃だ(少なくとも、ライブ観れなかったという深い後悔はしないで済んだ)。90年代のソロ転向後のデヴィッド・バーンは今見たり聞いたりしても、イケてないし、長髪姿やCDのジャケは見覚えあるが、当時もまったくひっかからなかった。トーキング・ヘッズももちろん有名な曲は知ってるけど、掘る機会がなかったようだ。よく知らないけど、artyなイメージだけはあったような気がする。日本では特におされバンドとして認識されていたようだけど、いろいろ読んだり聞いたりしてると、デヴィッド・バーン本人は意識的におされではなく、少なくともバンド時代はぎこちない社会不適合者的な人だし、バンドメンバーも「皮ジャンとかじゃなくて、普通の服を着て演奏したい」と話すような人たちでそういうとこも好き。

 

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あの傑作「ストップ・メイキング・センス」も、存在は知っていたけど観たことはなかった。今ヘビロテしまくりだが(実は全編YouTubeにあるけど、Blu-rayプレイヤーとBlu-rayを買い、来月の爆音上映のチケット争奪戦にも参加するよ)せめてこれくらいは昔に観ておけばよかったな、と思う。私にとっては、「トーキング・ヘッズのコンサート映画」、ではなく、「好きな監督であるジョナサン・デミが撮ったコンサート映画」だったので、ひっかかる要素はあったのだ。で、ジョナサン・デミといえば「サムシング・ワイルド」だよなあと懐かしくなったので、TSUTAYAディスカスでDVDを借りてひっさびさに観た、という話です。

 

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サムシング・ワイルド

ジョナサン・デミといえば、「羊たちの沈黙」や「フィラデルフィア」のようなメジャー映画のヒット作があり、アカデミー賞も受賞している。でも(というべきか)インディペンデント映画の巨匠で破天荒な映画を撮ることで有名なロジャー・コーマンに師事したコーマンスクール出身で、ブルース・スプリングスティーンニール・ヤングのドキュメンタリーも撮った音楽好きでも知られている。「サムシング・ワイルド」を知ったのは、石川三千花の「VIDEOまっしぐら」という本で紹介されていたからだ。ストーリーの本筋とは関係ないところで、風景的に映り込んでいる(もちろん意図的に)人たちの描写が面白い、とイラストで説明されていたので、1日3本映画を観られる学生の頃に、借りて観てみた。あらすじは、勤勉なサラリーマンがある日出来心で無銭飲食したところを謎の美女に見つかり、半ば誘拐されるされるような形で彼女に付き合ってアメリカ東部を南下するロードムービーだ。ストーリーはシンプルで誰が観ても楽しめる一見佳作のような作品だが、随所にオフビートなショットが挟まれていて、そこが観ていてとても楽しい。

 

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監督は、映画はその時代の風景を記録する役目もあると話している。まさにこのオープニングタイトルからして、当時のNYをドキュメンタリータッチで撮影している。ジョナサン・デミが監督したブルース・スプリングスティーンの「Streets of Philadelphia」のMVでも、その辺にいそうなよれたTシャツを着たブルース・スプリングスティーンが歩くだけの、誰もが日常的に見る風景が続く。余談だが、学生の頃にサンフランシスコの中心部を貫くMarket St沿いの、さびれたエリアにあったホテルの窓から、友達が帰ってくるのを待ちながら見下ろしていたときに、こんなふうにでっかいラジカセを担いで通りを渡る黒人男性をみて、はっとしたのを覚えている。映画の中のアメリカ!

 

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主人公チャーリーがルルを尾行しているシーン。ストーリーとはまったく関係ない、店先でラップするグループが、音もばっちり入って不自然に映り込んでいる。ほかにも、バイクの集団がのんびり走り去るのをずっと撮っているシーンも。それが、ストーリーが止まってしまうのではなく、あくまで自然に背景に見えるのがいい。

 

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ロジャー・コーマンの教えの一つに、どんな小さな役でも、キャスティングにこだわるべきだ、どんなに短くても、映画に映るのだから、というのがあるらしい。確かに、有名無名にかかわらず、10秒も映らないけど印象的な人々がたくさん出てくる。自然に感じのよい店の店員、演技かどうかわからない店の常連客。どれもわざとらしくなく、ドキュメンタリーみたいに見えて、少しでも画面に映る人たちを丁寧に撮っているのが分かる。

 

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カメラの後ろにいるにはもったいないくらいの存在感とかっこよさのジョン・セイルズ

 

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この人は、偶然現場にいたパフォーマンスアーティストで、自分で考えたアイデアを監督に提案して、主演のジェフ・ダニエルズに伝えずにアドリブで撮ったシーン。このとき彼が言ったセリフを、ジェフ・ダニエルズは映画の終盤でアドリブで使った。通りすがりの即興も受け入れるゆるさがいい。

 

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この女性は、女優でコスチュームデザイナー、デヴィッド・バーンの元妻のアデル・ルッツ。

 

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メインの役者3人もぴったりハマっている。ジェフ・ダニエルズは「ふつーのアメリカ人男性」をやらせたらぴかいちで、大好き。なんといっても、実質的な映画デビューとなった、当時無名のレイ・リオッタの登場が印象的。この後、「グッド・フェローズ」にも出演して有名になった。監督はこの役に会う俳優を探すのに苦労したらしい。怖い役なので、自分も会って怖いと感じる俳優でなくてはならなかったからだ。メラニー・グリフィスの紹介でレイ・リオッタに会ったら、本当に怖かったのでキャスティングしたとか。前半の主人公チャーリーとルルの陽気な逃避行は、陽気な音楽が終始流れていて明るいのに、ルルと腐れ縁を持つレイが登場すると、一気に不穏な空気が立ち込めて、音楽もギターロックに変わっていく。

 

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音楽の使い方で定評のあるジョナサン・デミが、大、大、大好きというThe Feeliesというバンドが、同窓会シーンに登場している。知らなかったので調べてみたら、Weezerもジャケ写をオマージュしていて、地味にわが道行く、好きな人は大好きなバンドらしい。気になる。このシーンで演奏している曲がいいなと思ったら、デヴィッド・ボウイのFameのカバーとか。デヴィッド・ボウイもわたし全然通ってきてなくて、分からなかった・・。

 

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ラストシーン、主人公たちを姿を映したあと、そのままカメラがパンして、直前に店員を演じていてるレゲエアーティストのSister Carolが歌いだすWild Thing

 

書いてきて、ほんとに好きな映画だなぁ、とほれぼれしてしまった。コメディドラマとしても丁寧に作られていながら、監督が自分の好きなものをそっと差し込んでる感じがいい。監督自身が本作について話す映像はこちら

 

レンタルショップでソフトを借りて鑑賞することがほとんどなくなってしまったこの時代、配信では見られない映画は山のようにあるわけで、埋もれてしまうのはもったいない。DVDが普及し始めた当時、VHSでしか見られない映画がたくさんある!と嘆く声があったことを思い出すと、同じことが起こっているのだけど。テレビで夜中に放送している映画を偶然見てしまって開眼するような経験もだいぶ減った。かといって配信ですぐに多くの選択肢から選んで鑑賞できるのはいいことだし、どちらがいいとも言えないけれど、中年の映画ファンとしてはなんか残念な気もしてしまう。名作はどんなミディアムが登場してもリリースされるだろうけど、「サムシング・ワイルド」のような佳作は受け継がれなかったりする危険性がある(アメリカでは一定の評価があるようで、クライテリオンからしっかりリリースされてる)。というか、Blu-ray以降、フィジカルで新しいものはもう出てこないか。

 

実は、「サムシング・ワイルド」をもう一度観ようと思ったのは、デヴィッド・バーンに絶賛夢中なので彼が監督した「トゥルー・ストーリー」も観ようとYouTubeで探したところ、クリップがあって観てみたら、あれ・・ジョナサン・デミ風味を感じる・・と思ったからなのだ。ということで、こちらもDVD入手済なので、面白かったらなんか書こうかな。「ストップ・メイキング・センス」のほうも、監督の話が面白かったので気が向いたら。好きすぎてなんも言えないので難しそう。

 

追記:デヴィッド・バーンの母

友人が観てシェアしてくれたんだけど、デヴィッド・バーンの母、エマさんも出演していた。そっくりすぎて爆笑。役名はJunk Store Gal!

 

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母のエマについて、デヴィッドと妹のセリアは共同で追悼文を発表している。グラスゴーで出会った両親は、母方がプロテスタント、父方がカトリックで、当時まだ偏見があったmix marriageだった。当時よく行われていた、景気の良い北米の会社がスキルのある労働者をUKから雇って呼び寄せるbrain-drainと呼ばれた制度をきっかけに、一家はカナダに移住。通常は数年で戻ることが多かったが、一家はそのまま北米に残った。mix marriageのせいで戻りづらかったのか、第2子のセリアがカナダで生まれたからなのか両親は言及したことはなかった。後にボルチモアに移ってから、エマは進学し学び続け、障がい者の子供の教育に携わった。一家はヴェトナム反戦運動や、ウーマンリブの活動にも積極的に参加している。高齢になっても、イラク反戦運動に参加した。"She was one strong-willed, protesting granny". 素敵ばあちゃん・・。両親は2人の子供の活動に協力的で、「サムシング・ワイルド」やMVにも出演している。「トゥルー・ストーリーズ」ではモールで働くウェイトレス役として出ているみたいだが、見つからなかった・・。母の経歴を読んでいると、デヴィッド・バーンの活動ともリンクしていて納得。「アメリカン・ユートピア」もそうだけど、無断で自分の曲を選挙活動で使用した政治家を訴えたり(和解して当の政治家は謝罪動画をアップロードしている)、NYにバイクレーンの設置を促す活動をしたり、社会活動にも積極的だ。歳とっても精力的なところも、母譲りなのかもしれない。

この出演シーン見直してみたら、セリフは1文しかなかったけど、スコットランド訛りを確認!息子デヴィッドは、周りから浮くのが怖くてアメリカに引っ越してから訛りはすっかりなくなってしまったそうだ(残念)。

 

追記:戦後のスコットランドを観る映画

両親がグラスゴー近辺で生活していた時代は、デヴィッド・バーンが52年生まれなので、40~50年代ということになる。父が仕事を求めて北米に移住したことでもわかるように、イギリスは国土の損傷が激しく、戦後景気が悪化していた。グラスゴーは造船で栄えた街だったが、ほかのイギリスの都市と同様に、斜陽の時代へ突入する。炭鉱の閉鎖と経済の悪化は60~70年代を描いたイギリスの映画ではおなじみのテーマだ。

 デヴィッド・バーンフィルモグラフィーをみていたら、ユアン・マクレガー主演の「猟人日記」(原題:Young Adam)があったのを思い出した。50年代のグラスゴーを舞台に、作家志望の流れ者とリバー・クライドに浮かぶ女性の死体の関係を描く、暗くてじめっと湿度の高い作品だ。ユアン・マクレガーは好きなのだけど、出演作にあまり好きな映画がない中で、これは共演者もみな素晴らしくて好き。また見直そうかなぁ。