virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

中年男性の解放の物語:「バスタブとブロードウェイ」

 劇場公開時に評判が良かったのを思い出して、U-NEXTで鑑賞。あらすじをさっと紹介すると、ある男性が、1950~1980年代にアメリカの企業が社員向けに上演したミュージカルのレコードを収集するようになったことから、彼の人生が変わる、というもの。最初は寡黙な男性がレコード収集(しかもかなりニッチなジャンル)にハマる話かと思いきや、聴くだけにとどまらず、だんだん元気になって行動力を発揮し始める。最終的には、中年男性が自分を解き放つ展開に。人生に迷った中年男性がタコとの交流で生きる力を取り戻す傑作ドキュメンタリー「オクトパスの神秘: 海の賢者は語る」と相通じるものがある。何かに、特に音楽に夢中になったことがある人はじんわり共感すること間違いなし。

 

レコード収集のきっかけ

 スティーブは2015年に終了したアメリカの長寿トーク番組、Late Show with David Lettermanのコメディライターを長く務めたベテランだ(撮影は番組終了前から始まっていて、終了する様子も描かれている)。しかし彼自身は、長年毎日ギャグばかり考えてきたせいか、もう何かを見たり聞いたりしても笑えなくなってしまったという。帯番組のライターというのは相当なハードワークなのだ。そういえば、コメディアンには心を病む人が少なくないという話も聞いたことがある。妻子はあるものの、趣味もなく、同僚以外には友達もいない、仕事漬けの日々を送っていた。熱心な音楽好きでもレコードコレクターでもない彼がこんなニッチなジャンルを知ったのは、番組のネタとして扱ったことがきっかけだった。おそらく、「いやぁ、こんなヘンテコなレコードが存在するんですねぇ」なんてレターマンに言わせていたのだろう。

 

レコードを掘りまくる

 よく聴いてみると実に素晴らしい、と気づいたスティーブは、あらゆる手段を使ってレコードを掘り始め、コレクターの間で有名人になるまでのめりこんでいく。レコード屋に足を運んで、企業ミュージカルのレコードが入ったら連絡をくれと伝えたり、もちろんebayも活用する。持ってないレコードを交換したりするうちに、仲間ができ始める。ジャンルがニッチなだけに、狭く熱いコミュニティが形成されていたのは想像にかたくない(めちゃ楽しそう)。コレクター仲間として、有名なミュージシャンも出演している(デッド・ケネディーズ、アリエル・ピンク)。あるある…と思ったのが、コレクターの中には日本人もいると紹介されていたこと。日本人のレコード収集癖はやはり有名だ。

 

そもそも企業ミュージカルって何?

 さっきからこの手のレコードがニッチだとか、ヘンテコだと書いてきたけど、そもそも企業ミュージカルとは?から始めなきゃいけなかった。これはアメリカの企業が社員向けに製作・上演したミュージカルで、最盛期は1950年代から1970年代。社員向けなので、一般の人々は観る機会のない、幻のミュージカルともいえる。50年代にミュージカルが人気になったことから、多くの企業が社員教育や士気向上のために取り入れた。要は、社員にはっぱをかける役割を担っていたのだ。上の写真は、おそらく農耕機械を売る会社なのだろう。多分、「うちのトラクターは世界一♪」とでも歌っていると思う。冗談じゃなくて、一言一句、そのまま。これが企業ミュージカルの世界だ!

 それがシリコンであれ、バスタブであれ、製品を賛美する歌がエンドレスで歌われる。かなり露骨な表現が多く、社員でない人間が聴くと(社員でもなんじゃこれ、と思った人はいるはず)なんとも滑稽だが、もちろん大真面目に作られている。それも、大金をかけて。当時ブロードウェイで上演された人気ミュージカルの何倍もの製作費だったという。内容はまったく一般受けしないが、かなり正統なミュージカルが、社員に見せるためだけに製作されていたのだ。なんともぜいたくな時代。スティーブが集めているレコードは、一般販売も放送もされていない、会社のノベルティのようなものだった。歌詞はいかにも宣伝文句で笑えるのに謎に演奏も歌唱力もクオリティの高い、希少なレコード。これはコレクター心をくすぐるよね。

 日本でもその昔、社員とその家族を会わせて何百人も福島のハワイアンズで慰安旅行、とかあったのを思い出したが、スティーブは、これはアメリカ独特のカルチャーだと分析している。確かにこれだけの規模とクオリティで実現できるのはアメリカだけだったのかもしれない。ちなみに、80年代頃からアメリカの景気後退に伴って(日本車のアメリカ上陸が要因に挙げられていた)企業ミュージカルは衰退していったらしい。なにせ企業なので、金がなくなればすっぱり止めてしまう。

 

ティーブ、作曲家や出演者に会いに行く!

 誰も知らない企業ミュージカルの世界の虜になる、までは、そういう人もいるだろうなと納得するが、スティーブはその先に突き進んでいく。レコードを見たりコレクター仲間と情報収集するうちに、何人かの作曲家や出演者の名前を認識するようになり、レコードを聞けば、あ、これは〇〇が作った曲に違いない!と当てられるまでになった。そして存命の人たちに実際に会いに行くのだ。これは彼自身がエンターテインメント業界で製作者側として働いていることが大きく影響していると思う。自分が心酔しているミュージカルを作った人々が、誰にも知られていないと思うと、いてもたってもいられなかったのだろう。

 といっても、最初スティーブは彼らに会って、珍しいレコードを手に入れられたらラッキーくらいの気持ちだったらしい。思い出してほしい。彼はただの熱心なコレクターで、人付き合いもあまり上手くないタイプなのだ。だが実際に会うと、思いのほか舞い上がってしまったり、話を聞いてるうちに情が移ってしまう。彼らが当時のことを語り出す。ブロードウェイを目指していたが、なかなか機会に恵まれない時代に、ギャラがいい企業ミュージカルに助けられた人が多くいるのだ(駆け出しのころだとは思うが、あのマーティン・ショートも出演していた)。実際にモノを作る人たちなので、企業ミュージカルだからと手を抜いたりバカにすることなく(ダメ出しもくらう)、みな真剣に取り組んで家族のような雰囲気になっていた。だが企業の経営が悪化するとミュージカルに呼ばれることもなくなり、みなバラバラになっていく。そんな栄枯盛衰のはかなさが企業ミュージカルにはある。一般のミュージカルとは違って、記録に残らないのだ。

 彼らと親交を深めるうちに、スティーブはまた行動に出る。を執筆するのだ。アメリカの興行の歴史に埋もれた世界が日の目を見ることになる。そして映画の最後のシーンは、冒頭のスティーブからは想像もつかない事態に!

 

最後に

 誰にも知られずにいたアメリカの古き良き文化を蘇生させる。スティーブが企業ミュージカルを世間に紹介したのは、大げさかもしれないけれどそう表現してもいいと思う。シニカルでもはやコメディを見ても笑えなくなったコメディライターが、なぜここまで行動力を発揮して事を成し遂げたのか。世の中は今よりシンプルで、朗々と「みんながフォードの車を求めている」と歌い上げることのできたアメリカへの郷愁?オタクの暴走?それもあるかもしれないが、実際に”人に会った”ことが大きな転換だったのだと思う。会って人の話を聞くことで、むくむくと力が湧いてくる感覚。よく言われることだが、人を変えるのは人、なのだ。彼らと出会ったことで、彼自身も蘇生されたんだなぁとしみじみしてしまう。あと、スティーブがレコードを聴いてるときの顔!いかにも人間が満ち足りているときの顔、という感じで、思わずこちらもにこにこしてしまう。

 

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レターマンショウにスティーブ自身がゲストで出演した映像。

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