virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

「ラブレス」2022年の今見ると興味深いロシア映画

 今年2月のロシアによるウクライナ侵攻以来、いろいろ重なってロシアという国に興味が沸いてきた。以前から不思議な国だなと思ってたけど、現地の知人なしに旅行するにはハードルが高く(ビザもいるし)、遠巻きに眺めながら、どこから手を付けていいか分からない状態だった。それが今回の侵攻、メディアに出ずっぱりだったロシア識者の小泉悠さんの分かりやすい解説、加えて今推しのテニス選手がロシア国籍なのもあり、ロシアを知る材料がないかちゃんと探してみることに。

 小泉悠さんの「ロシア点描」は、自身のモスクワ滞在中の体験をベースに、ロシア人と交流して得た体感や人々の生活習慣が書かれた気軽に読めるエッセイで、これに似た本を読みたいと探してるのだが、数冊発見したものの、少ない(あれば教えてください)。

 じゃあ映画で探そうとなると、これまた戦争もの以外かつ現代ものになるとあまり見当たらない。ふと、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督作「ラブレス」を以前冒頭だけ観て中断していたのを思い出した。これロシア映画だった!ということで、再見。2017年製作だが、今見ると、ぞっとする作品だった。

あらすじ

 モスクワ郊外に住むボリスとジェーニャ夫妻は離婚協議中で、ひとり息子のアレクセイがいる。お互い浮気相手がいて、ボリスの彼女は妊娠中。ジェーニャも年上の裕福な男性と付き合っている。ある日、アレクセイが忽然と姿を消す。警察に届けを出すが、手が回らないのでボランティアの捜索隊を頼るように指示される。夫婦はいがみ合いながらも捜索を始めるが……。

 

壮絶な罵り合い

 夫婦の罵り合いが冷酷すぎる。ピンポイントで突き刺して確実に相手にダメージを与えるような発言の連続。息子を押し付け合う2人は自分のことしか頭にない。両親の口喧嘩を聞いたアレクセイの顔……。夫婦間だけでなく、ジェーニャとその母の会話も同じように冷え切っている。あまりにも攻撃的なので、そんなことを言わなければいけない本人が最後には可哀そうになるくらいだ。本心でもあり、ままならない自分の人生への愚痴でもあるのだろう。

 ジェーニャが恋人に、自分は子供が欲しくなかったと告白する場面も印象深い。子供ができたのは偶然、たまたまそのとき付き合っていたのがボリス、母から離れたかっただけ。子供にしてみたら悲しいだろうけど、本当なのだろう。

 

ボランティア捜索隊

 息子が行方不明になった夫婦は、警察はリーザ・アラートを頼るよう勧める(熱心に探してくれる、と言い添えて)。2010年に設立された非営利組織のボランティア捜索隊「リーザ・アラート」の存在は、この映画で多くの人に知られるようになったとか(記事)。作品の中でも、非常にてきぱきと指示が下され、統率のとれた団体として描かれている。ロシアではキノコ狩りに行ったまま行方不明になる人も多いらしい。

 あれだけ子供を押し付け合っていた2人が息子の行方不明にどう反応するかなと思っていたら、やはり心配でたまらないらしい。と同時に、虚無な感情も見える。

 

虚無感

 ジェーニャが携帯電話をしきりに触っているシーンが多い。世界中で見られる光景ではあるものの、やはり人が携帯を見ている姿はどことなく空っぽな印象がある。ジェーニャもボリスも恋人がいるが、相手を必要としているものの、どこかぼんやりして関心がないようにも見える。人とのつながりを欲していると同時に、コミットできないという矛盾。夫婦が冷たく罵り合うのは個人の資質のせいなのだろうか。終盤になると、それだけではないかもしれないと思わせる、当時の社会状況がみえてくる。

 アレクセイが失踪したのは2012年であることが貼り紙のクロースアップで示された後、数年が経ち、ボリスの彼女が生んだ2、3歳くらいの子供が現れる。テレビでは、ロシアのクリミア併合が報道されている。それを無表情で見ているボリス。テレビの前でうろうろする子どもを、どさっとベビーベッドに落とす。

 上の写真は恋人のアパートで過ごしているジェーニャ。ジャージにとその色に注目。家ではジャージを履くのか?と思ってると(前にそんな場面はなかった)、おもむろにテラスのランニングマシーンでジョギングを始める。RUSSIAと書かれたジャージの上着を着て。

 

 思わずぞくっとするシーンだ。今見ると尚更。物語は2012年に始まり、最後は2015年頃らしい。プーチンが大統領に返り咲いた年に始まり、2014年のクリミア併合を経たあたりの出来事だ。政治状況と絡めた監督へのインタビューはこちらくらいしかなかったが興味深かった。以下監督のインタビューでの発言。

「かつては社会に希望があった。いい方向に変化すると信じることができた。例えば企業を設立すれば発展を期待できたし、暮らしや社会の住みやすさは今後よくなると思うこともできた。子どもたちには未来があるだろうと信じることもできた。そういうものの見方がまったく変化させられ、よりよい変化を信じることなどできなくなった。ロシアの政治の雰囲気や、人々の魂あるいは精神状況が変わり、パラダイムが変わってしまった。政治制度がよい意味で変わるとは思えなくなり、代わりに無関心が訪れ、とりわけ社会に積極的に変化を求める人たちが茫然自失とする状況になった」

 おそらくジェーニャも多くのロシア人と同じように、愛国心をあおられたのだろうと想像できる。人間は住んでいる環境に影響されずにはいられない動物なのだと改めて思わされる。日本も2012年あたりから、嫌な空気が加速的に蔓延している……。

 

 とても静かな映画でセリフも展開も少ないが、今みると、時代背景などを絡めてとても興味深く見ることができた。静かなシーンが多いだけに、??なシーンがあると妙に気になった。例えば、捜索隊がアレクセイの友人に教室で聞き取りを行った後、教師が黒板を拭いて、帰り支度をするシーン。妙に長くて、何か意味があるのか?と勘ぐってしまう。それについてどのインタビューを読んでも触れられてなかったけど、多分意味はないんだろうな。町山さんの解説も聞いてみたい。

 ちなみにロシア語ってどんなだろうと初心者向けの本をみてたら(yes/no, thank you, helloしか知らない)、「私はアレクセイ」なら、「ヤー アレクセイ」だけで、be動詞がないことに驚いた。

 

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