virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

北米のコミック冊子が素敵な理由と、アラレちゃんの単行本

Optic Nerve No.13 - Adrina Tomine

 

「パリ13区」という映画が公開中だ。日系アメリカ人、エイドリアン・トミネが書いたいくつかのコミックを原作としている。その中の1つはまったく聞いたことがなかったので調べてみると、昔のコミック冊子の中に収録されていることを知り、ああこれは入手せねば…と出版社のサイトで物色中。エイドリアン・トミネはこのジャンルのコミック作家としてはかなり有名なのに今でもコミック冊子を出している(かなり間隔は空いてるが)。今は消えつつあるフォーマットなので、大変希少であり、ファン心をくすぐられる。しばらく北米コミックを追いかけてなかったが、コミック冊子っていいよなぁと本棚から引っ張り出して眺めている。よく考えたら「Dr. スランプ 」の単行本が好きだったのと同じだ、と思い出した。そもそもコミック冊子って何…て感じだと思うけど、興味ある方は読み進めてくださいませ。

 

追記:読んだことないと思っていたHawaiian Gatewayは、日本語訳も出てる「サマーブロンド」に収録されている。まったく忘れてたので読み返そう…。原作コミックはすべて邦訳がでています。

北米コミック遍歴

私は北米のアメコミじゃないコミックを昔からちょこちょこ読んでいる。このジャンルをなんと呼べばいいのかいまだに迷う。オルタナティブ・コミックとか、グラフィック・ノベル(これはアメコミにも使われる)と呼ばれるけど、なんかしっくりこないのである。ちなみになぜ「北米」かというと、アメリカ発の作品が多いけど、カナダにこのジャンルの大手出版社があり、カナダの作家も割と多いからです。

アメコミじゃない北米のコミックが好きだと言っても、ああ、私も読むよ、なんて誰にも言われたことがない、日本ではマイナーなジャンルだ(と思う)。何それ?顔をされたときは、必ず「ゴーストワールド」を引き合いに出すことにしている。読み始めた90年代は渋谷のタワレコでも入手できたが(!)、当然数は少ない。ネットで探したり、2010年代半ばまではよく北米に旅行して現地のコミックショップで購入したり、コミック・マーケットに行って本人からサインをもらったりしていた。ちなみにサインもらうときは、必ず日本語で名前を書いてもらう。日本語翻訳もぼちぼち出ているものの、あまり存在感は増していない気がする。近年では「サブリナ」が話題になったのを珍しいと思って見ていたくらい。まあいいんだけど、さ。前のブログでも時々書いてたものの、25年経っても同志がまったく見つからないのは寂しい。音楽だとすぐに見つかったもんだけどねぇ…。

 

コミック冊子とは

正しい定義や呼び方は不明。ここではさっきからコミック冊子としているけど、違和感ありつつ書いている。英語でも決まった呼び方はないようだ。comic book, comic series、pamphlet, "floppy"などの記述を見かけるが、どれが定着してるのか分からない。もちろん日本語でも…。このフォーマットはマーベルなどのアメコミも同じなので、おそらく決まった呼び方があるのだろう。とりあえず持っているものを並べて特徴を挙げるとすると、こんなところだと思う。店舗では回転ラックにディスプレイされていたりする。90年代のものは手に取ると、まさにパンフレットのような印象だ。

追記:アメコミの場合なんと呼ばれてるのか軽く調べたら、日本では「リーフ」で通じるとか。

 

  • 表紙はカラーで中はモノクロ(or2色刷り)。カラーの場合も。
  • サイズは26×17が定番? ほかにも27×21など様々。
  • ページ数は30~40。最近のものほどページ数は多い。
  • タイトルがついている(Optic Nerve, Eightballなど)
  • 複数のコミックを連載
  • 読者からのお便りを掲載
  • 価格は$2~$3(90年代)、2010年代になると$7~。
  • だいたいannual

1人の作家が1~3つくらいのコミックを連載して1年に1回発行する「1人ジャンプ」みたいなもの。「ゴーストワールド」も、上の写真にあるダニエル・クロウズの「Eightball」に連載されていた。号数や出版社情報、お便りコーナーからファンレターの宛先まで雑誌のような体裁になっている。そして宛先は自宅だったりするので、ダニエル・クロウズはファンの子が家の向いに何日も座り込んで困ったこともあるらしい。のどかな時代だ。お便りへの意地悪なコメントも載っていて笑える。

自分の本やグッズの宣伝コーナーもある。

エイドリアン・トミネのOptic Nerve No. 12に収録された自伝コミックのこの一コマが、私が好きな理由のすべてを語っている。短い自伝コミックがついてるのが好き! というか、コミック冊子に関しては、むしろそっちが目的で買ったりする。

 

コミック冊子の何が好きかって、お気づきかと思うけれど、(ほぼ)すべての文字が手書きだということ。ファンレターは文字数が多いせいかプリントの場合もあるが、その他はすべてレタリングしている。日本の漫画と違って、吹き出しの中の台詞も手書きなのが特徴だが、出版社情報に至るまですべて手書き。レタリングはコミックのなかでもちゃんと確立されたジャンルで、優秀なコミックとそのクリエイターに贈られるアイズナー賞では、Best Letteringという部門もある。

 

アラレちゃんの単行本

コミック冊子の手作り感がなんとも言えず好きなのだけど、お便りコーナー…自伝コミック…なんかこういうの、見たことあるような? 家に1冊だけ残っていたアラレちゃんの単行本(まっ茶色)を開くと、あーこれだった! これは単行本エクスクルーシブなのか? ほかの同時代の漫画にも、こういうページが挟まれてたんだろうか。

この本は1980年刊行。ちょいと時代は違えど、似たことをやっていて発見だった。書き手とファンの距離が近い時代だったのかなぁ。こういうの、例えばスパイダーマンのコミック冊子でも同じなんだろうか? アメコミは完全分業制なのでこんなことはやらないか。

 

昨今のコミック冊子事情

といっても持ってるものでしか判断できないが、分かっているのは、もうコミック冊子は流行らないということだ。流行らないどころか、おそらく絶滅危惧種だろう。前述のOptic Nerve No. 12(2011年)に収録された自伝コミックでその辺の事情が垣間見える。これ前のブログでも載せた気が…。

以下要約:いまだにコミック冊子を作っているエイドリアン・トミネが周りにからかわれる。本を出すほうが儲かるぞ!と。「みんな"floppy"なんて呼んでコミック冊子をバカにするけど、僕は好きなんだ。ページを埋めるために適当にかいた自伝コミックとかね。誰がなんと言おうと、僕は好きだから続けるぞ!」しかしラジオで尊敬するダニエル・クロウズが、「利益も出ないから書店は置きたがらない。誰からも求められてないものを続ける理由があるか?書籍を作るほうが理にかなっている」と話すのを聞いて落ち込む。なんで自分はいつまでもこの古臭いフォーマットにこだわってるんだ? とは言いつつ、気を取り直して最新刊を発行する。出版社に電話して、こないだShortcomings(書籍)でやったときみたいな豪華なブックツアーはやりたくない、家族との時間が大切だからね、と話すと、あれは書籍だからやったけど、floppyのためにやるわけないでしょ、と一蹴される。Optic Nerveのサイン会で、ひとりの中年男性が懐かしがってエイドリアンに話しかけてくるが、ひとしきりコミック冊子の良さをまくし立てて、そのまま去ってしまう。「本になったら違法ダウンロードして読むわ!」。

 

以前コミック冊子を出していた人が新刊を出しているか少し調べてみたけど、やはり現役で続けているのは大物ではエイドリアンくらいかもしれない。2010年代以降に始めた作家では、1人だけ、紙質は良くなったものの、上記のフォーマットをほぼ残したコミック冊子を作り続けている人がいた。これはかなり稀なケースだろう。しかし読者としては、コミック冊子が本に劣るとは思えない。自分は昔をやたら懐かしむレトロおじさん・おばさんなのか?(実際に存在を知ったのはだいぶ後だが?)。まあ連載コミックしか載ってないなら、本のほうが良いかもしれない。でも自伝コミックが読めたり、ファンレンターにツッコミいれてたりしたら、コミック冊子のほうが良くない?? コレクション欲も湧くし。Optic Nerveはなんと版を重ねて販売されているので、彼ほどの人気作家なら細々とでも需要があるのだろう。まあ作る側の遊び心とコミットメントと労力が求められるフォーマットなのは確かだ。雑な言い方になってしまうが、もうそういう時代じゃない、のかな。

 

私はエイドリアン・トミネの自伝コミックが大好物なのだけど、2020年に出版された「長距離漫画家の孤独」の日本語版が5月に発売される。自伝コミックオンリーで、装丁はモレスキンのノートを完全再現したもの。多分日本語版も装丁を完コピしてるみたい。

 

追記:自分の結婚式に至るまでのあれこれを描いたこちらも面白いよ。