virgilの日記

映画、シリーズの感想多めです。

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」「ヴァーサス / ケン・ローチ映画と人生」

以前観たけどもう一度観たくなって借りたDVD2本。

 

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ヴィヴィアン・マイヤーを探して

本を書く資料としてジョンがオークションで落札したのは、ネガとフィルムが詰まった箱。現像してみると、素晴らしいストリートフォトが次々に目の前に現れた。撮影者の名前は検索しても見つからない。とりあえずブログに載せると大反響を呼んだ。どう扱っていいか困ったジョンは、MOMAやいくつかの美術館に打診してみたが取り合ってくれない。一念発起して膨大な数の写真を整理し、やっとギャラリーに出展するとたちまち評判になった。祖父の代からオークションでいろんなものを買うのが趣味という家で育った青年の行動力によって、ヴィヴィアン・マイヤーの作品が世界中で知られるようになる。

 

当然、それ誰?という疑問が沸く。仕事は?出身は?なぜ写真をどこにも発表しなかったのか? ジョンは純粋な好奇心(最強!)と、彼女の作品を発見した責任感に突き動かされ、彼女を知る人々、さらにはフランスの小さな村に住む親せきまで突き止める。ヴィヴィアンは乳母として長年住み込みで働いていて、長身のかなり風変りな人物だったらしい。誰もが口をそろえて、生きていたらこんなに注目されること嫌がっただろうと言う。証言者たちはよく彼女のことを覚えていて、数々の強烈な思い出が語られる。モノをため込む人だったので、日常的なことであれば行動も記録が残ってはいるが、日記らしきものはなかった。当然のことながら、有名人でもない普通の市民の人生を何十年も後になってから追うのは難しい。自分のことを語らなかった彼女を理解する術はないが、もっと知りたいと思える不思議な魅力のある女性だ(セルフポートレートも素敵)。政治にも興味があり、街で政治問題について女性にインタビューする映像を撮影している。「女性ももっと関心を持たなきゃダメよ!」。そして悲惨な事故や犯罪記事に目がなかったらしい。その変人さゆえに、晩年も完全な孤独死ではなく、少なくとも近所の人に認識されていたことがせめてもの救い。

 

Wikiを読んでたら、幼少期に有名写真家の名義の家に住んでいたことや(写真との出会い??)、実は亡くなる1年前に、ほかの人物がオークションで手に入れた写真をネット上で公開していたこと(反響はなかった)、著作権をめぐる訴訟などについて書かれていた。著作権は、映画見ながら気になっていた・・。

 

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ヴァーサス / ケン・ローチ映画と人生

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学生の頃、早稲田松竹ケン・ローチ特集を観に行った。「ケス」は見ていたので、ほかの作品も観たくなったのだろう。「レイニング・ストーン」、「レディバードレディバード」、「リフ・ラフ」とあと1本、2本立てを2回。リアルさがもう辛くて辛くて、なんで観に来てしまったんだ・・という苦しい思い出になった。その後長年組んでいる脚本家のポール・ラヴァーティグラスゴートークを聞きに行ったことがある)が手がける「マイ・ネーム・イズ・ジョー」以降は、社会問題と映画的な面白さがうまくミックスされて見やすくなったが、ケン・ローチの本質はあの辛い3本なんだな、と改めてこのドキュメンタリーを観て思った。

 

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労働者階級の出身だが、成績が良かったためにオックスフォード大学に進学し、俳優として業界でのキャリアが始まった。監督として活動し始めた60年代は、労働者階級の暮らしを描くドラマは存在しなかった(階級社会ってつい最近のこと)。それを変えるべく監督した、福祉システムのせいで家も子どもも失ってしまう女性を描いた「キャシー・カム・ホーム」が評判を呼ぶ。その後も作品を作るたびに、社会批判を交えた政治的な内容であることを理由に放送局と衝突することになる。見た目は銀行員のようで、おとなしく、さほど印象に残らないタイプだが、すさまじく頑固で絶対に自分の信条を曲げない。誰もが同じように語るケン・ローチの人物像だ。80年代に入って監督していた演劇が大きな社会問題に発展し、公演を続けるのは危険と判断した主催者は関係者を集めて中止を告げた。中止に反対だったケン・ローチのその場の発言を振り返る、俳優のガブリエル・バーンのコメントが前回観たときに強烈な印象だったので、今回観直したのはこのためと言ってもいい。中世の騎士に例えて、彼がどれだけ静かに、しかし容赦なく攻撃したかが語られている。

 

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映画の中でこの件を振り返る本人は、まったくソフトになることなく、(公演中止を告げた人物は)げっそりしていたが、当然の報いだ、と一蹴。「卑怯だ。卑怯な行為は過ちではなく、選択だ」。怖いとかっこいいのボーダーライン。

 

この一件の後、10年以上まったく映画を撮ることができない時期が続く。仕方なくマクドナルドのCMを撮るほど絶望的だった。サッチャー政権が終わり、風向きは少し変わったものの、国内からの目は依然厳しい中、1990年の「ブラック・アジェンダ」(主演はフランシス・マクドーマンド)がカンヌで成功し、第一線に戻ることができた。

 

ケン・ローチはたびたび、なぜあんなに英国を嫌うのか?と国内で糾弾されていた。日本で言えば「非国民」扱いだ。この手のをことを言うやつは世界中にいるな・・と本当にうんざりする。政府の政策によって苦しんでいる国民がいるから批判しているだけで、あまりに当然のことなのに。これ以上書くと際限なく口が悪くなってくるので止めよう。

 

政治的な映画を作るのは、日々のわたしたちの生活と政治は切り離せないものであり、常に政治の影響を受けていると気づいてほしいからだ、という話は、日本で暮らすわたしたちに、特に今現在、一番響いてほしい。ロクでもないことばかり報道される毎日は、しょうがないんじゃなくて、どんどん文句言えば変えることができるかもしれない。

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